「うきはの山奥に雰囲気のよいスモークレストランがある」福岡を訪れるたびそんな話を耳にする。なんでも伝説的なヒッピーが自給自足と絵を描く生活を求め山に篭り始め、1980年代後半に創業したスモークレストランを現在はその息子である二代目が継いで営んでいる、と。そのレストランの名はイビサ。地中海に浮かぶ楽園である。うきはの山の間を車ですすむこと20分。石造の建物とオープンテラス、その脇を美しい小川が流れ、周囲にはぎっしりと杉の木がそびえ立つ、まさに楽園のような場所にたどり着いた。
「ようこそ」と厨房の奥から愛想よく出てきたのが二代目店主でオーナーシェフの尾花光くん。まさにこの集落で生まれ育った生粋のうきは人。高校時代は東京だったそうだが、それ以外は基本うきはを拠点としている。
しかしそのマインドは確実に世界基準である。「小学二年生までガスのない生活をしていました。山へ薪を取りに行って、七輪で料理をする。それが当たり前。そしてすぐそこの川では外人たちが真っ裸で水浴びをしている。そんな風景が日常でした。」なるほど。都会の生活では味わうことのできない、プリミティブなグローバルマインドがここにはあるのだ。
豊かな自然に恵まれたうきは市は農林業が盛んで米麦の他に野菜、果物、緑茶などの産地としても知られている。「ここで作る料理の食材はほぼすべて自分たちの目と手が届く範囲で調達しています。スモークハムなどの商品を都市部に卸したりもしているけど、結局はそれをきっかけに、ここ(レストラン)に興味を持ってもらって、最終的にここに来て、この自然のなかでこの地のものを食べる。「自然に生かされる」ということをできるだけ多くの人に体験してもらいたいと思っています。」
そんな彼は数年前、サンフランシスコの人気ベイカリー、タルティーヌベイカリーを訪れている。そこで食べたパンに感銘を受け、タルティーヌベイカリーのオーナー兼ベイカーであるチャド・ロバートソンが執筆したレシピ本を参考に、現在も自家製のピザ生地の改良を行っている。「この本には発酵の答えが詰まっていると思う」と言う。
偶然にもほぼ同じ時期、僕もそのベイカリーを訪れていた。当時参加していたプロジェクトの一環で、チャドはもちろん、そこで働くスタッフ達にインタビューを行っていた。その時に出会ったのが今回も取材している木工アーティスト、ジェシーだ。彼はチャドがベイカリーとは別に手がけたレストランの内装を担当していた。
ジェシーの両親も1970年代に青春を過ごした筋金入りのヒッピーである。その上、ジェシーは今年、サンフランシスコのはるか北にある山奥で日本家屋を立てるプロジェクトを終えたばかりだ。その土地の名はユカイア。英語では「UKIAH」と書く。光くんのいるうきは市を英語で書くと「UKIHA」。ほぼ同じスペルである。
同じような境遇で育った同世代のクラフトマンたちが、奇跡のような偶然の中を生き、そして出会おうとしている。僕の旅はまだ始まったばかりだ。またここに来ようと思った。次はジェシーを連れて。
イビサスモークレストランの2代目店主。イビサができる小学二年生の頃までガスのない生活をおくっていた。高校時代は東京で過ごし、卒業後は帰郷し本格的にイビサスモークレストランで働き始める。福岡薬院にある姉妹店、イビサルテでも経験を積み、さらに世界中を旅して様々な食文化を吸収している。
写真:伊藤 大介